とらわれ

 
とらわれの例
 ライフイベントを契機として、不安が生じて、それが神経症を呈する。
 普通でありたい。と願うこと
 過去のように再び成功したい。と努力すること
 自分がもてないのは、頭髪が薄いことが原因だと思うこと
 おならの臭いがくさくて、私を嫌われているのじゃないかと思うこと
 本当はもっと酷い病気で、医者を変えれば解決法が見つかるのではと思うこと(これは人によると思うけど)
 肝臓が悪いという3分の1の患者は実は神経症。

「とらわれる生き方、あるがままの生き方」大原健士郎 講談社より 抜粋

あるがまま

 開き直ること
 駄目なら次の手を試すこと
 いいじゃないかと思うこと
 好き勝手ではない。

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これでいいのだー


あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、
受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、
軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、
その時その場が異様に明るく感じられます。
この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と
タモリ 赤塚不二夫へ

目標をもっていること

 人のために生きたいという気持ち
 家族のために、親のために何かをしたいという気持ち
 何かをやりとげるということ
 その目標のために亀のように一歩一歩あゆむこと

本来無一物(『六祖壇経』

ひとことでいうと皆空

■ 無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんぞう)■

そして、「無一物中無尽蔵」の豊かで深みのある禅の世界は、知識や学問の
有無には無関係に万人の下に平等に在る。ということを慧能自ら提示した。

物質文明の生活に浸りきって、知識・分別に囚われた生き方をしている現代人の我々にも
「無一物」の世界は身近に存在する。全身全霊を打ち込んだ徹底集中、慧能の米つき仕事
のように一つの物事に自分の全生命を賭けてやり遂げようとする心こそ「無一物」そのもの。
自分の中にあるそうした力を信じきって、 囚われない心で、豊かに生きていきたいものだ。

菩提本無樹 明鏡亦無臺(菩提に本から樹など無い 明鏡にもまた台など無い)
佛性常清淨 何處有塵埃(仏性は常に清浄だ 何処に塵埃が有るのか)
心是菩提樹 身為明鏡臺(心が菩提樹であり 身を明鏡台というのだ)
明鏡本清淨 何處染塵埃(明鏡は本から清浄だ 何処が塵埃に染まるというのか)

■「月を指すとは」
お経の意味を質問する僧に、天才禅僧・六祖慧能が答える。
「私は字がわからないので、経文を読んでくれたら、およその真理を解くことができるかもしれない。」
「字も知らないあなたが、どうして真理をつかみとれるのです?」
「文字は私達の指のようなもの。
指は月のある場所を指し示すことはできるが、指そのものは月ではない。
月を眺めるのに、必ずしも指を通して眺める必要はないのでは?」

まさに住する処無くして、しかもその心を生ず

function Enou(){
call budhi.myheart(); var body= new budhi(); var budhi.prototype.myheart= function () { return this;}); console.log(body.myheart();)
}
菩提はインスタンス化されたオブジェクトではありません。
空の汚れ用のない自分が返る。

不立文字

KWSKいっても 結局日本語でOk。になるだろJK.

教外別伝

いくよいますぐ きみのところへ
指と指 ハートとハート (来てよぱーまん より)

直指人心

そやからな あれをなにして びゃーってやって きゅってしめるねん
use strict;

見性成仏

 君そのまんまやな

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