ベヴァリッジ報告

第二次世界大戦中の1941年、保守党のチャーチル内閣は、戦後の社会保障のあり方を提案してもらうために委員会を発足させた。
その委員長となったのが、かつての失業保険政策の立案にあたった経済学者ベヴァリッジであった。
ベヴァリッジはかつては意見の対立したウェッブ夫妻らの思想やケインズらの理論を取り入れ、報告書をまとめた。
それが戦後のイギリス社会保障政策を決定づけ、世界的にも大きな影響を与えたベヴァリッジ報告書である。

その要点は、ウェッブ夫妻に始まりフェビアン協会社会主義の基本思想である「ナショナル=ミニマム」を根幹とし、
国民すべてに最低限の生活保障を実行することを国家の義務であるとした。
失業保険、年金などの保険制度は定額保険料・定額給付が原則とした(1911年の国民保険法の思想を継承した。しかし50〜60年代に修正される)。
それを補完し高所得者向けには任意加入の高負担・高給付の保険を設ける二段階を提唱した。日本の年金にそっくり
保険料を払えない人、あるいは働けない人に税金を財源とした国民扶助あるいは社会扶助として所得保障を設け、救貧法に代わるものとする。
15歳ないし16歳以下の児童に対して児童手当を支給する。家族が多いために貧窮することを防ぐ狙いがあった。
2010年、日本で導入された「子ども手当」の手本である。
医療に冠しては保険料の徴収ではなく、税金を財源にした一定額の医療給付制度を設けた。現在のNHS(国民保健サービス)制度の起源である。
 このうち、年金の定額保険料・定額給付は、その額が低すぎ、生活困窮者が続出、そのため税収による扶助の支払い額が増加し財政を圧迫した。
そのため均一拠出・均一給付の原則をやめ、60年代から70年代にかけて比例拠出・比例給付の原則に制度変更を続けた

ウェッブ夫妻

20世紀にはいると、イギリス経済はアメリカとドイツに押され、後退しはじめた。
そのような中で新救貧法の改訂が課題とされるようになり、1905〜09年に王立の委員会が検討を加えた。
そこには労働者の立場に立つウェッブ夫妻の夫人ベアトリスが委員で参加した。
この委員会は結局、多数派の資本家側委員と少数派の労働者側委員の意見は一致せずそれぞれ別個の報告書を作成した。
そこでウェッブ夫人は失業を発生させないために具体的な提案を行った。

公的職業紹介所の創設による雇用の推進と監視の強化
・ナショナル=ミニマム(国民が最低限度の生活を維持すること)の徹底。
・政府支出による公共事業。
これらは日本のハローワークなど、現在の失業対策事業に大きな影響を与えた。

フェビアン協会社会主義 (Labour Party)

1884年、少数のインテリ青年が設立した社会問題研究団体を母胎に、バーナード=ショウらがロンドンで設立。
ウェッブ夫妻らが理論的指導者となり、知識人を中心とした社会主義団体に成長した。
革命や暴力によってではなく、議会政治をつうじて社会改革を実行し、漸進的な社会主義の実現をめざした。
イギリスの植民地拡大など、帝国主義政策に対しては多くは反対しなかった。
1900年の労働代表委員会結成に参加し、さらに1906年の労働党に発展する。

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