電気けいれん療法は
すっきりする(アノニマスより得た所感)ので効いたような気がするが、
しかし、
後遺症は言葉を話せなくなる。体の一部が動かなくなる。があることを忘れてはいけない。
アノニマスの人は広めないでほしい。


ブラック精神科医に気を付けろ (精神患者のFacebookグループやボランティア団体にも気を付けろ
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/38315?page=7

薬の量を減らしたものの
 退院から1年、強迫性障害の治療に定評があった別の精神科病院に通い始めた。ここで診断が「適応障害」になり、薬をどんどん減らしていった。すると、全身の筋硬直や気分の激しい波は収まってきた。もともとあった常同行為は減薬が進むにつれて目立つようになったが、カナダの姉の家にホームステイしている間はすっかり治まるなど、リラックスできる環境にいると改善することが分かった。

 20歳で自動車の運転免許を取得し、単位制の高校にも通い始めた。買い物に行くと、バッグや靴、帽子ばかりを買い、すぐに返品するなど変わった行動も見られたが、順調に回復してきたタクヤさんに、父親がたびたび愚痴を言うようになった。
「俺は18歳の時には働いていたぞ」

 サッカーをやめて以来、父親との関係がうまくいっていないタクヤさんは、急き立てられるようにバイトに打ち込んだ。慣れない仕事でたびたびミスをして上司に怒られると、家でひどく落ち込み、「俺はニートだ。親に申しわけない」とつぶやいた。目をしきりにパチパチさせるチックのような症状や、自分の顔や腰、太ももなどを叩き続ける行動が現れた。音に対して非常に過敏になり、小さな生活音にも苦しんだ。家にいても立ちっぱなしで過ごすようになり、脚がパンパンに腫れ上がった。飲食をやめてやせ細り、自宅近くの3ヵ所目の精神科病院に緊急入院した。22歳の時のことだ。

再び統合失調症の診断に
ここでまた、診断名が「統合失調症」になった。だが、抗精神病薬を増やすだけでは改善の見通しが立たず、勧められた電気ショック(電気けいれん療法)を受けるため大学病院に移った。回数は計10回(週に1〜2回実施)。7回目までは、受けた直後に受け答えがはっきりして「効果があるように見えた」と母親は言う。だが8回目以降は目立った変化は現れず、固まったまま動かなくなるなど状態はかえって悪化した。「これ以上、手の施しようがない」と言われて退院した。

 自宅で立ちっぱなしの状態が続いた。時々、下を向いて足踏みをしたり、手を突っ張ったりした。このころはまだ家族との会話はできていたが、放っておくと飲食や歯磨き、入浴をしないため、母親による介助が必要になった。

24歳の春、また飲食を拒むようになり、再び大学病院に入院した。電気ショックが改めて計13回行われ、1回目の直後から、左手に小刻みな震えが現れた。回数を重ねると、今度は右手の指が内側に曲がって動かなくなった。

この症状について、同じ大学病院の整形外科医は「薬の影響だけでなく、電気けいれん療法の後遺症の可能性がある」と母親に告げたが、精神科の主治医は「原因は分からない」と繰り返した。以後、手の震えや硬直は1年以上続いた。そればかりか13回の電気ショックが終わるころには、タクヤさんは言葉を話せなくなっていた。

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